Saturday, September 18, 2021

2曲目:2934日目(『19曲のラブソング』所収)

「2曲目:2934日目」 by デイヴィッド・レヴィサン 訳 藍(2020年03月12日~2020年03月21日



トラック 2

2934日目


ぼくは8歳。そして今日はバレンタインデー。しかも日曜日だから、眠い目をこすって無理に布団から出て、バスに乗り遅れないように急いで支度をする必要もないし、宿題はやってなくても大丈夫。眠りの世界がぼんやりと明るくなり、うっすらと目を開くと、いつものように今日が幕を開ける。

いきなり目に入ったのは、『スターウォーズ』のヨーダのポスターだった。ぼくの腕の下にオビ=ワン・ケノービが見えて一瞬焦る。よく見ると、シーツも毛布も『スターウォーズ』一色だった。ベッドの横にはライトセーバーの電灯まで置いてある。ぼくは『スターウォーズ』シリーズのどのエピソードも見たことがないので、とても奇妙な光景だ。半身を起こし、ベッドの上に置いてあったロボットのぬいぐるみに寄りかかる。そのロボットは「ドロイド」というらしいが、朝の時点ではまだ名前は知らない。部屋を見回しながら、いつものように朝のメンタル・ルーティーンを行う。ここはぼくの部屋で、「今日のぼく」の名前はジェイソン、よし。壁の向こうはぼくの母親の部屋だな。物音一つしないということは、彼女はまだ寝ているのだろう。


昨日はバレンタインデーの前日だったことは覚えているので、今日がバレンタインデーだというのはわかる。「昨日のぼく」のお姉ちゃんが、好きな人に渡すカードにメッセージを書いて、キラキラしたラメをふんだんに貼り付けてるのを見たから。そして義理チョコを渡す人たちへのカードには、ぼくにシールを貼らせた。「貼っていいよ」と言われたから、ぼくはそれぞれのカードにハート型のシールを適当に貼っていった。貼りながら、この人たちがこれを受け取って封筒を開ける姿を想像してみた。明日にはぼくは違う人の家にいるから、実際にお姉ちゃんがこれを渡すところは見られないんだと思って、少し悲しくなった。

そして今、ベッドから出て、鏡の前まで歩いていく。ぼくは自分の容姿には無頓着なんだけど、今日は結構長い時間、鏡に映る自分の姿を見つめてしまった。パジャマに無数のサルが描かれていたから。それから、『スターウォーズ』を見たことがないぼくでも、そういえば「ウーキー」とかいう、こんなキャラクターが踊ってるのをテレビで見たことがあるな、と思い出し、なんとか納得した。

ぼくの机の上には、白い封筒が置かれていた。トランプくらいの大きさの封筒が10通ほどあった。すでに封はされていて、すべての封筒に「ママへ」と書かれている。「MOM(ママへ)」の「O」の文字がハート型になっていた。

昨日は違う家にいたから、ジェイソンがこれを準備しているところは見ていない。ぼくはこれを渡す役ってことか。ジェイソンに任務を託された気分で、封筒の束を持って部屋を出る。


休日は、当時子供だったぼくには重要な日だった。起きてみて誰の体に入っていても、休日なら家で過ごせるから、戸惑いもそれほどなかった。学校ではそう簡単に事は進まない。いくら下準備をして学校に行っても、穏便に過ごしたいという期待は狂乱へと弾けてしまう。バレンタインデーに関しては、寒い時期を照らす一点の光といったところか。2月に入ると、世界が次第に赤やピンクめいてきて、どんどん世界が愛で満ちてくる。バレンタインデー当日が休日だったら最高で、もらったお菓子を食べて、愛について考えていれば事足りるわけだ。

だから、ぼくは休日が大好きだった。


ジェイソンの部屋は彼にとって拠点となる基地なのだろう。―宇宙の外側からやって来た敵を迎え撃つ道具がたくさん飾ってあったから。彼の部屋を出てみると基地的要素は一気に薄まった。マンション自体はそれほど広くない。寝室が二つ並び、他にキッチンと書斎っぽい部屋があるだけだ。でも二人暮らしなら、この広さで十分だろう。そこでぼくは、ひょっとしたら三人用のマンションかもしれないと感じた。

なるべく平穏に一日を過ごしたい。―これは長年にわたるぼくの一貫した姿勢なんだけど、その中で学んだのは、親は起こしてはいけないということ。本当に本当に重大な理由がある場合は仕方ないけど、それ以外に起こすと、経験上ろくなことがない。毎朝違う人生の中で目覚めるという自分の特質に気づく前は、起きるたびに怖くて、それが朝早い時間であっても、親の寝室に駆け込んでいた。すると、毎回違う親がびっくりした表情で、「何時だと思ってるの? 部屋に戻って大人しく寝てなさい」と怒り出すのだ。中には、「じゃあ、もうそろそろ起きましょうかね」と言って、ぼくと一緒に一日を始める親もいたけれど、大体は不機嫌にぼくをしかりつけたので、親は起こさない方がいいと学んだ。目覚めた直後に、今日の親は最悪だ、今日の人生はハズレか、とがっかりしたくないし。もう少しゆっくりと、わくわくしながら今日を見極めたい。

あまり音を立てないようにつま先で廊下を歩き、キッチンに入った。ぼくを待ち構えていたのは、バレンタイン・ワンダーランドともいえる空間だった。キッチンのあちこちにハートが飾られている。―天井からハートがぶら下がっていて、キャビネットにもハートが散りばめられ、調理台の上にもハートが咲いている。何百ものハートがあるに違いない。8歳のぼくの目には、何千ものハートに見えた。引き出しからハートが顔を覗かせ、冷蔵庫の表面にハートがくっつき、床を鼓笛隊さながらにジグザグに闊歩していた。ぼくが寝静まっている間に、母親がぼくのために飾り付けてくれたんだ。トースターからハートがポンと飛び出し、スプーンの合間を逃げ回り、ハートがナプキンの上を泳ぎ、ペーパータオルの上で「ケンケンパ」をしてるみたいに飛び跳ねていた。

ぼくは思わず、その一つを手に取ってみる。指の間に赤い紙が挟まった感触がある。手の中のハートは、すでにぼくの頭の中で人格を形成している。―このハート君はちょっとずんぐりしていて、体重が左側に少し偏っている。そのためか、動きも他のハートよりちょっとゆっくりだ。だけど、彼は面白いジョークを言ってみんなを笑わせてくれる。ぼくは彼をブルーノと名付けた。(名前の由来は自分でもよくわからない。―たぶん、今まで行ったあまたの家の一つで飼っていた犬か猫の名前だろう。そういう名前はすべて、ぼくの記憶に蓄積されているから。)すぐにブルーノは、サリーとルーシーという2人の女の子の友人を作ったようで、3人でバレンタイントークに花を咲かせている。幸い、ぼくは彼らの言葉を英語に翻訳できた。

あと1時間もしないうちに母がやって来て、こうして新しくできた友達と遊んでいるぼくを見つけるはず。―ぼくは調理台の上に、ハートたちがみんなで遊べるようにジャングルジムを作ってあげた。セロリで滑り台を作り、ブロッコリーを滑り台に登る階段にした。ニンジンを角度をつけて何本か立てて、砦を作った。ブルーノは今もみんなの中心にいて、彼を取り巻く人の輪は、少なくとも10人以上に増えている。その全員をぼくは前からよく知っている、と強く感じた。

「ハッピーバレンタインデー!」と母の声がした。

数年後、ぼくは彼女の声を思い出す。その言い方まで懐かしむように思い出されてくるのだ。鐘の音のような明快さで、今日が本当に特別な日だと母は告げている。ぼくはそれに見合ったことは何一つしていないというのに、ぼくがぼく自身であればそれだけでいいと言ってくれているようで、母の声に包まれて全身が嬉しくなる。

ぼくは魔法で作り上げたハートの世界にすっかり入り込んでいて、あやうくジェイソンに託された封筒を彼女に渡しそびれるところだった。ぼくはその封筒を、キッチンの角でブーンという音を常に発している冷蔵庫の横にしまっておいたのだ。―その音はきっと、小妖精が冷蔵庫の機械の中で悪さをしている音だろう。―ぼくは椅子から飛び下り、急いで封筒を取り戻しに行く。キッチンテーブルに大きなピンクの封筒が置かれていて、その封筒にはぼくの名前が書かれていることに気づいてはいたけれど、ママが起きてくるまで開けずに待っていた。

ママは食器棚の前まで行くと、手を伸ばして棚の高い段から何かを取り出した。ぼくもいつかあんな高い棚に手が届くようになるのか、今は想像もつかない。食器棚の扉が揺れて、貼ってあったハートがいくつか、ひらひらと舞うように落下して、床にそっと降り立った。彼女の手には、包装された赤い箱が2つ現れた。どのくらい前から棚の上にあったのだろうと思うと同時に、今この瞬間に彼女の手の中に現れたのだと簡単に信じることもできた。

ハート型の小人たちの世界で、巨人はぼくとママの二人だけだった。日曜日の朝、小さなキッチンで二人きりになったぼくたちは向かい合って立っていた。そして、二人だけの世界で、ぼくは12通の封筒を彼女に手渡した。彼女は赤い包装紙で包まれた2つの箱をぼくに手渡した。大きなピンクのカードも一緒にもらった。

それは純粋にぼくに宛てられたメッセージカードだと感じた。たとえそれが実際は、今日ぼくが乗り移っているジェイソンに宛てたものであっても、ぼくへの愛のメッセージだと捉えることにした。毎回そうしないと、日々の生活をやってられなくなって、どこかに落っこちてしまいそうだったから、ぼくはそう信じ込むことに決めたのだ。愛の言葉や、言葉の背後にある愛の感情はまっすぐにぼくに向けられたものだと。特に、カードを手渡しながらぼくを見つめる瞳の中に「愛」を見て取れた時には、それはまさしくぼくへの愛なのだと。

ぼくが手渡した封筒を母が開けた。中からスターウォーズのバレンタインカードが出てきた。ジェイソンは全12種類を集めて、母にプレゼントしたことがわかった。それぞれのカードには、それぞれのキャラクターの手の込んだサインが書かれていた。一方、母からもらったカードを開けてみると、氷盤の上にたくさんのセイウチが集まって、ハートの形を作っていた。(一瞬パジャマの模様と同じウーキーかと思ったけれど、カードに顔を近づけてよく見ると、セイウチだった。)それから、母がくれた1つ目の赤い箱の中には、赤のマフラーが入っていて、2つ目の赤い箱には、赤の手袋が入っていた。

年を取るにつれて、赤という色はさまざまな意味を帯びてくる。心がどんどん複雑になって、捉え方も変わってくるのだ。だけど、当時の世界では赤はまだ、血とか、怒りとか、気まずくなるようなこととは無縁で、赤には一つの意味しかなかった。愛という意味しか。キッチンで、ぼくは愛に身を包むように、マフラーを巻き、手袋をはめた。きっと母から見るぼくの笑顔は、手袋と同じくらい赤かっただろう。胸の奥の心も、マフラーと同じくらい赤くなっているのを感じた。

ぼくの母は、12枚のカードから1枚を手に取って掲げた。仮面をかぶった人物が写っていて、『スターウォーズ』の台詞なのか、「ハートのお尋ね者を探し出せよ」と書かれている。

「私はこれが一番気に入ったかな」と彼女がぼくに言う。「ボバ・フェットって、本当にロマンチストだと思わない?」

それが誰なのかぼくにはさっぱりわからなかったけれど、同意したように真摯に頷くと、彼女が満面の笑みで応えてくれた。

「それじゃ、バレンタインデーってことで何を作りましょうかね? バレンタインワッフルなんていいんじゃない?」

彼女は用意してあったハート型のクッキーカッターを取り出すと、〈エゴーワッフル〉の生地をハートの形に型抜いていった。まさに祝日に食べるものって感じだ。彼女はワッフルを作りながら、ぼくの知らない歌を口ずさんでいた。一緒に歌いたかったけれど、できなかった。ぼくが学校で習っていた歌は、星条旗よ永遠なれ、とか、琥珀色に輝く稲穂の波よ、とかそういう歌ばかりだったから、バレンタインデーには相応しくない気がして、歌うのはやめておいた。

ママはバターもハートの形にしようとしたけれど、バターが溶けてしまい、それはうまくいかなかった。でも、シロップはちゃんとハートを描くようにかけてくれて、とっても可愛らしいワッフルが出来上がった。ママの愛が溢れているようで、食べずにずっと見ていたかった。

ハート型のワッフルに名前をつけようと考えていると、それを悟られたようで、「ほら、早く食べなさい」と急かされた。ママは自分で食べる分をもう二つ作っている。「早く食べないと、冷めちゃうわよ」

彼女はラジオをつけた。セレナーデのような優しいBGMに乗って、コマーシャルが流れ、天気予報が告げられている。キッチンテーブルに座ってワッフルを頬張りながら、二人だけの家族について考えていた。家庭に降り注ぐ重力の種類が、大人数の家族とは違うということに思い当たった。二人しかいないから、ラジオとかの第三の雑音が必要になってくるのだ。そうでないと、どちらかが話し続けなければならないというプレッシャーが常に両者に降り注ぐことになる。だけど、そのプレッシャーは大した重荷でもないな、と思い至る。ぼくたちは二人だけのリズムに慣れきっているから、言葉をそんなに交わさなくても、お互いの存在を意識し合って自然に行動できる。空間の中で注意を引かれる対象は相手だけだから、常に意識はしているけれど、その引力は弾力性があり、多少のプレッシャーはなんてことなく、伸びやかな気分で過ごせるのだ。

ワッフルを食べ終えると、ぼくは自分の部屋に戻り、ハートの切り抜きでさっきの続きをして遊んだ。ハートたちを宇宙船「ミレニアムファルコン」に乗せたり、ジェイソンが描いた宇宙要塞「デス・スター」とかの絵の上をハートたちに探検させたりした。

ぼくがそうしている間、母がお皿を洗っている音がしていた。水の音が消え、足音がして、彼女の部屋のドアが開いて閉まる音がした。隣の部屋から物音は聞こえたけれど、彼女が何をしているのかはわからなかった。それから少しして、ぼくの部屋のドアを母が開けた。見ると、母は手にピンクの液体が入ったボトルを持っていた。

「ストロベリーのバブルバスに入らない?」と彼女が聞いてくる。

断る理由は何もなかったので、彼女についてお風呂場に行った。手に何枚かハートの切り抜きを持ったまま、ぼくは彼女が湯気の立つお風呂に手を入れて、お湯がぬるすぎないか、熱すぎないかを確かめるのを見ていた。蛇口から水を足し、ちょうどいい湯加減になったところで、母がピンクの液体をバスタブの中に注いだ。水面に泡がどんどん湧いてきて、ストロベリーの香りが立ち込めた。「じゃ、ゆっくり楽しんで」と言って、彼女は出て行った。ぼくは泡々のお湯に身を沈め、苺の香りを大きく吸った。すると、頭がぼんやりしてきて、思考が当て所もなくさまよい始めた。泡を手で掬って、山の形にしたり、空中に放って、雲に見立てたりした。体を洗おうなんて、ぼくの頭には浮かばなかった。まるでそうやって泡で遊んでいれば、ストロベリーの水蒸気が体まできれいにしてくれると思っているかのようだった。

浴槽から、母があちこち歩き回っている音が聞こえた。時々、「大丈夫?」という彼女の声がして、「大丈夫だよ」とぼくは声を張り上げた。そして長風呂すぎると感じたのか、ついに母が「もうそろそろ出なさい」と言ってきた。ぼくはだいぶ蛇口からお湯を足していたので、すでに泡は小さくなり、泡の数も減っていた。浴槽から出てみると、泡の竜巻に巻き込まれたみたいに泡だらけの体だった。シャワーで泡を流し、タオルで体を拭いてから、赤いシャツを着て、緑のジーンズを穿いた。赤い靴下と赤いスニーカーもあったらよかったのに。

ぼくはこの時のことをよく覚えている。とても鮮明に細かいことまで覚えている。


・・・


次に覚えているのは、二人で動物園を歩いている光景だ。お風呂から出た後、ぼくからだったか、母からだったか、動物園に行こうという話になって、車で出かけたはずだ。でも、そういう家での会話とか、車に乗ってる記憶というのは、あまりに日常的な行為なので、そうしている最中も軽く流れていく感じで記憶にも留まりにくい。しかし動物園のことは、はっきりと記憶に残っている。他の親とも行ったし、学校の遠足でも行った。ジェイソンもこの動物園に来たことがあったのだろう。彼の母は案内もほどほどに、慣れている感じで動物園を回っていたから。だけど、バレンタインの特別感は出してくれていた。彼女はピンクのマフラーを巻いていて、ぼくは赤の手袋をしていた。パンダ小屋の前まで行って、二人で熱心に母パンダと赤ちゃんパンダの様子を見た。母はぼくに、パンダがバレンタインデーをどのように過ごすのかを教えてくれた。お客さんがパンダ小屋の前からいなくなったらね、と母は言った。飼育員さんもキリンとかの様子を見に行かなくちゃだから、そのうちいなくなったらね、親子パンダは二人だけでパーティーを始めるのよ。竹のストローでピンクのレモネードをすすって、中国から直輸入したハート型のチョコレートを二人で分け合って食べるの。ぼくはうっとりした気持ちで彼女の話を聞いていた。ぼくはうなずきながら、不思議に思ったことを次々と質問した:パンダもパーティーしながら音楽をかけるの? メッセージカードは交換するの? そのチョコレートは中に何か詰め物が入ってるやつ? それとも、チョコしか入ってないチョコ? パンダもぼくと同じでピーナッツバターのチョコが一番好きなの? ぼくの母はすべての質問に、一つひとつ丁寧に答えてくれた。

ぼくはパンダを見ながら、笑みがこぼれた。パンダはササの葉を噛んでいて、ぼくたちの方には見向きもしなかったけれど、ぼくは親子パンダの密かな計画を知ってしまったから。パンダはクマの仲間だということも知っていた。森でクマに出くわしたらおっかないだろうけど、目の前のパンダは可愛くて、柔らかそうな体をしていた。パンダの親子にバレンタインカードを贈りたかった。今夜のパーティー用に赤いリコリス飴を買ってあげたかった。中国から直輸入は無理だから、CVSとかのスーパーで買うことになると思うけど。


・・・


8歳の時はまだ、ぼくは信じたいものを好き勝手に信じていた。信じた方が楽しいし、どんな話も大歓迎だった。もっと年を重ねていくと、だんだん論理的にどうとか考え出して、ストーリーは噓っぱちだと証明しなければいけないような気持ちになってくる。さらにもっと年を取れば、ストーリーを再評価して、どれほど自分の人生を生きるのに物語が役に立っているのかに気づく日も来るのかもしれないけど、とにかく一旦は噓っぱちのお話から身を引くことになる。8歳はちょうどその直前で、まだいろんなことを信じていた。もちろんぼくにはわからないこともいっぱいあって、ジェイソンのこと、ジェイソンの母親のこと、檻の中のパンダについても、全然何も知らなかった。だけど、彼の母親からぼくに向けられた愛が十分に強いものだったから、知らないことは全く気にならなかった。ただ目の前にあるストーリーの中に生きていたかった。


パンダには赤いリコリス飴を買ってあげられなかったけど、ぼくは買ってもらった。動物園を出て、ピンクのレモネードを飲める店を探し歩いた。そして見つけたお店に入り、棒状で穴が開いてるリコリス飴をストロー代わりにして、竹を吸うパンダみたいにピンクのレモネードをすすって飲んだ。味が混ざって美味しかった。ランチ時でお店は混んでいたけれど、ぼくは周りのカップルたちには目もくれなかった。周りと比べてどうこうとかはまだ考える歳でもなく、純粋に自分のバレンタインを楽しんでいた。時期が来ればぼくも、バレンタインデーをミルクチョコのように甘くとろけるロマンチックな日にしたいと、お金をかけてバラを買ったりするんだろう。でも最初からそういう日だったわけじゃないんだよね。誰でもそうだろうけど、最初のバレンタインは、付き合ってる人や付き合いたい人とは無縁の世界で、こうやって愛をもらったはずなんだ。

ぼくのママがウェイトレスに、ピザの上を赤くして、チーズを下に入れてほしいと頼んだ。そのウェイトレスはにこやかに引き受け、シェフに頼んでくれた。ぼくたちのテーブルに運ばれてきたピザの上には、レッドペッパーでハートが描かれていた。ぼくは感極まり、喜びで胸がいっぱいになった。(感極まるって、最高に素晴らしい言葉だね。まさにぼくの感情が極限って感じだ)

ぼくはしばらく興奮状態が続き、お店を出てからも浮かれながら歩いていた。けれど、家に着く頃には疲れてしまい、よく覚えてないけど昼寝をしたんだと思う。そして目覚めたところから、また記憶がある。まだ外は明るかったけど、それからすぐに暗くなったから夕方だと思う。ぼくはブルーノ、サリー、ルーシーと少し遊んでから、ハートの小人たちに、チューバッカ、ハンソロ、C-3POを紹介した。―ただ、このリアルなフィギュアたちの本当の名前をぼくは知らなかったので、それぞれレックス、ハリー、ゴールディーと呼ぶことにした。彼らはこれから、6人でバレンタインパーティーを開くつもりだ。レックス(チューバッカ)はサリーに少し恋心を抱いているけれど、サリーは気づいていない。それに対してブルーノが密かにやきもちを焼く。そんなブルーノをゴールディー(C-3PO)が慰めてあげる。

ぼくの集中力が許す限りそうやって遊んでいたけれど、そのうち演劇がぐだぐだになってきて、ぼくは寝室を出ることにした。静かに、なるべく足音を立てずにキッチンへ向かった。キッチンにはハートの仲間たちがたくさんいるので、ブルーノ、サリー、ルーシーを連れて、サプライズでみんなに会いに行こうとしたんだと思う。キッチンの入り口まで来ると、中にママがいるのが見えた。彼女はぼくに気づいていない。

ここで、この日の記憶の中心にたどり着いたことを確信する。ありきたりな一日だと最初の方で書いたかもしれないけど、そうではなかったと思い至る。長い年月を経て、今もこの日を覚えているのは、―バレンタインデーの思い出として、この女性のことだけを覚えているのは、このシーンが中心にあったからだ。彼女はキッチンテーブルに向かって座っていた。彼女の目の前にはピンクのフロストケーキが置かれている。ケーキが入っていた箱もテーブルの上にある。彼女はハート型のキャンディーの袋を開けると、それをケーキの上に一つずつ置いていった。そうしている間、ふと彼女の手が止まった。小さな緑のキャンディーが親指と人差し指に挟まれたまま、ケーキの上で止まっている。キャンディーの袋が、浮かんだままの彼女の手首のすぐ下にあったけど、彼女はキャンディーの袋を見ているわけではない。ケーキを見ているわけでも、廊下にいるぼくに気づいたわけでもない。彼女はそこにはないものを見ていた。彼女の視線は虚空に向けられ、心の目が何かを見ているようだった。彼女はキッチンにいながら、同時にキッチンとは別の場所にいた。彼女のプライベートな宇宙とでもいうべき広大な場所で、彼女はぽつんと一人座っているかのように、ぼくの目には映った。ぼくが小さなキッチンで一人座る彼女の姿から感じ取ったのは、悲しみではなかった。あの歳でも、悲しみは理解できただろう。ぼくが見て取ったのは、重力の鎖から解き放たれたかのような、大人の空虚な表情だった。重力がどんなものなのか忘れてしまったかのようにぽかんと、唯一彼女の個人的な宇宙にだけ包まれて、他の世界の存在を忘れてしまったかのようにふわふわと、彼女はそこに浮かんでいた。

この時のことをこれほどはっきりと覚えているのは、ぼくが大人になってから、そういえばあの時のあの女性はこんな気持ちだったのだと理解するに至ったからだろう。重要なのは、その時に気づいたことではなく、―漠然と認識していたことが、後になって鮮明に意味を帯びたことの方なのだ。彼女がぼくに気づき、こちらを向いた瞬間、重力が戻ってきた。再び同じ質量の重力が降り注ぎ、彼女のプライベートな宇宙がぼくの世界と合致した。彼女がこちらに戻ってきてくれた。そしてぼくは「愛」を感じる。その時は詳しい説明はできなかったけれど、ぼくは全身で感じていた。愛とは重力なのだ。

彼女がぼくに「ケーキの飾り付けを手伝って」と言ってくる。ぼくは「誰のためのケーキなの?」と聞く。「私たち二人のためよ...あ、もしボバ・フェットがうちに来たら、彼にも分けてあげましょ」

朝、彼女が気に入ったと言っていた仮面をかぶったキャラクターだ。ぼくはボバ・フェットが来ませんように、と願った。


ぼくたちはケーキを切り分けて食べた。ケーキの記憶が強いけど、夕食も食べたと思う。その後、ぼくは皿洗いを手伝って、残っているケーキから指でクリームの部分を掬って、こっそりなめた。ピンクのフロストクリームは、超甘い歯磨き粉のいとこみたいだと思った。だけどママに言ったら、ケーキで歯を磨いちゃだめよ、と言われた。

代わりに、美味しくない方のいとこでちゃんと歯を磨くように言われ、ぼくは歯を磨いてから、再びあの「ウーキーパジャマ」に着替え、ベッドに飛び込んだ。昼寝をしたからか、疲れてもいないし、全然眠くなかった。そしたら、ママがぼくのベッドに入ってきて、本を読み聞かせてくれた。何の本だったのか覚えていないけれど、重要なのはそこではない。―ママがぼくに寄り添って読み聞かせてくれたこと自体の五感へのセンセーションの方が、個々の本のストーリーよりも、はるかに強力なのだ。彼女の語る言葉に身をゆだねていると、彼女が部屋に入ったときはまるで眠くなかった覚醒状態から、だんだんと遠のいていく自分を感じた。彼女が読み終わったとき、ぼくはほとんど夢の中にいた。でも、まだかすかに起きていたようで、彼女が部屋の明かりを消し、R2-D2の形をしたナイトスタンドのほのかな光の中で、子守唄を歌ってくれたのを覚えている。

ぼくはパニックに陥っていた可能性もある。8歳の頃にはすでに、ぼくが毎日、同じ年齢の誰かに乗り移るという体質だと気づいていたから、眠りから覚めて朝起きたら、このママにはもう会えないのだと悟っていたはずだ。だから、嘆き悲しみ、涙さえ流していた可能性もある。

でも、ぼくはその可能性を選ばなかった。ぼくはくよくよしないことに決めたのだ。与えられたストーリーを楽しもう。

信じてしまえ、と決めたのだ。


・・・


ぼくたちはお互いに贈り物をした。赤いマフラー、赤い手袋、カード、それからリコリス飴、上下逆さまのピザ。なぜぼくたちはお互いにプレゼントを渡したのか、今になってわかった気がする。ぼくたちはその日の詳細をお互いの記憶に残そうとしていたのだ。毎日はどんどん過ぎ去ってゆく。祝日もあれば、普通の日もある。そして、かつていた日から遠く離れてしまったとき、その日の詳細を手繰り寄せる術は、そのようなプレゼントなのだ。あるいは、動物園に行ったことや、一緒にケーキのデコレーションをしたこと。ぼくたちはそういう特別なことを頼りにお互いを思い出す。そういったことがぼくたちを今もつなげているのだ。ベッドで聞いた子守唄。紙のハートで作った星座。それらを全部ひっくるめた形で、記憶の中に、ぼくは愛を見る。







〔感想〕(2020年3月21日)


母親が待ちわびている相手は誰だったのか? 宇宙の外からの侵略者と戦うボバ・フェットか、その中の人(俳優)が他の女性と会うのに忙しくてなかなか来てくれないのか、ひょっとしたら、もう死んでしまったのかもしれない...


365日×8=2920

タイトルの2934-2920=14日

よって、誕生日が2月1日くらいで、今日が2月14日のバレンタインデーということです。

つまり、この短編は生まれてから2934日目の日記というわけです。

そして、この短編は一風変わっていて、SFチックというか、カフカ的というか、(あるいは思い込みによる精神的な作用、いわゆる胡蝶(こちょう)の夢なのかもしれませんが、)

「主人公は毎日違う人の体で目覚める」という設定です!

つまり、寝覚めてみて、「今日はこいつの体か」と判明して、笑

一日を過ごすというわけです。

「朝のメンタル・ルーティーン」というのは、心の中を見つめて、「今日のぼく」がなんていう名前で、どんな家族構成で...と、ざっと把握する作業(精神作用)です。

重要なことだけを大雑把に確認するので、着ているパジャマの模様に驚いたりするわけです!笑


だけど、よくよく考えてみると、これってSFチックでもないな、と思えてきます。ぼくも自分を突き放して見る感じで、自分のことを「名前」で呼ぶことはあるし、ささいなこと、たとえば、昨日食べたものとか、着ていた服とか、「あれ、あれはどこに置いたっけ?(っていうか、あれって何だっけ?笑)」と置いた場所を忘れてしまうことはよくあります。笑


なので、一見奇抜に見えて、普通に「幼い頃のバレンタインデーの良き思い出」を回想している、と捉えることもできますね。

そこで、ぼくの「バレンタインデーの思い出」を、プレゼントとかを頼りに記憶を掘り返してみたんだけど、ない...Σ(゚Д゚)笑(思い出したら、ここに付け足して書きます)


あの時、あの子は悲しそうな顔をしていた。死んじゃうかも、とか極度に心配するほど、ぼくは青かったから...

一つだけ思い出した。「自分で焼いたから食べて」と言われて、マシュマロみたいな、シュークリームみたいな、中にチョコが入ったお菓子をもらって、でも底の部分が焦げてたから、今だったらそんなのへっちゃらで食べられるけど、当時のぼくはまだ青かったので、上の部分だけ食べて、残りを箱に戻したら、悲しそうな顔をしていた。

っていう、昨日の夢かも...


ちょうど「まだ青かった頃」のぼくの顔写真があった。(小さくてよく見えないかも)



ちなみに「タートル先生」というのは家庭教師派遣会社の名前で、家庭教師の登録に行ったら、クレジットカード一体型の登録証を作らされたのです。

2001年03月までのクレジットカードなので、1998年辺りに撮った写真で、当時ぼくは大学生だった。だから、たぶん夢ではないと思う!(本当にぼくはマシュマロをもらったんだ!!よっしゃー!)







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