Saturday, September 18, 2021

3曲目:グッド・ガールズ(『19曲のラブソング』所収)

 「3曲目:グッド・ガールズ」 by デイヴィッド・レヴィサン 訳 藍(2020年03月21日~2020年04月04日



トラック 3

グッド・ガールズ


高校時代、わたしは真面目な女の子たちに囲まれていた。

わたしの両親はどう捉えたらいいのかわからず、戸惑っていた。毎晩のように、息子に女の子たちから電話がかかってきたからだ。当時は携帯電話はなかったので、親が電話に出ることが多く、聞き馴染みのない女の子たちの声に戸惑いを隠せない様子で、わたしを呼んだ。なぜ息子に、毎晩違う声の女の子から電話がかかってくるのか、不思議で仕方ない顔をしていた。わたしは自分の部屋を抜け出して、あるいは部屋を閉め切って、彼女たちといろんなことを話した。友達のこと、宿題のこと、人間関係の悩みを聞いてあげることもあった(わたし自身の話はあまりしなかった)。時には、人生の意味みたいなことも話し合った。わたしにはそれほど多くの女の子の友達がいたわけだけど、声を聞けばすぐに誰だかわかった。でも本当は、一人も友達なんていなかったのかもしれない。

正直なところ、わたしの友達のほとんどは女の子だった。メイリング、エラナ、ジョアンナ、キャロリン、ローレン、マーシー、この6人は真面目な良い子たちだった。リンダ、ドボラ、レベッカ、スザンナ、ディナ、メグ、ジニー、この7人は、良い子ではあったけど、高校生になった途端、目の色を変えて男の子たちに擦り寄るようになった。イライザ、ジョディ、ジョーダナ、ジェニー、マリアム、この5人はわたしより1学年下で、やはり良い子たちだった。ジェニファー、サミ、トレーシー、この3人は、あまりわたしたちと束になって行動しなかったけど、やっぱり良い女の子たちだった。男の子の友達もいたことはいたけど...そんなに多くなかった。女の子たちが、わたしの交友関係の核を成していた。

わたしたちは愛については語り合ったけど、セックスの話はしなかった。わたしたちにとって「パーティー」といえば、和気あいあいとした座談会のようなもので、飲んで騒ぐ類いのものではなかった。ちょっとアルコールが入った混合酒をぎこちなく口につけたり、せいぜいワインクーラーに入っているワインを少しグラスに注いで飲むくらいで、ジョッキでビールを飲むことは、かなりハードルが高かった。違法薬物なんて考えもしなかった。わたしたちは家庭用ビデオデッキの恩恵を享受した世代だった。高校時代は1990年代の前半で、映画『恋人たちの予感(When Harry Met Sally…)』をビデオで何度も繰り返し見た。ニューヨークを舞台にした恋愛映画なのに、まるで古代アラム語を解読するかのように、そのストーリーの意味や教訓について思いを巡らせていた。その中心に位置する命題は、「男女間で友情は成立するのか?」という問題で、わたしは肯定側に立って考えるのが好きだった。というのも、たまに女の子の友達の一人を好きになってしまっても、結局はわたしの中で友情が勝利を収めたから。

男の子を好きになるという感情はまだ、わたしの中に芽生えていなかった。

わたしの周りの真面目な女の子たちは、機知に富んだ言い回しに憧れ、SAT用の暗記カードにドロシー・パーカーの気の利いた言葉を書き込んだりして、ランチテーブルをみんなで囲みながら、皮肉や風刺を言い合っていた。それがスマートで、いけてる時間の過ごし方だった。そんなの馬鹿らしいとも思っていたけれど、わたしたちはスマートさと馬鹿らしさを、両方とも隠すことなく、大っぴらにひけらかすことにした。そうやって、わたしたちのグループは学校の内外で知名度を上げていった。わたしたちはニュージャージー州のミルバーンという町で暮らしていた。アメリカンフットボールのチームは優勝経験のない弱小チームだし、小さな町だから、驚くほど簡単に知名度を上げることができた。

わたしの周りの女の子の多くは、「ミルバーネット」という女性コーラスグループに所属していた。誰かが男の子と付き合い始めたと聞けば、だいたい相手は男性コーラスグループ「ミルバーネア」の一人と相場が決まっていた。わたし自身も「ミルバーネア」のオーディションを受けたんだけど、落ちてしまった。というのも、わたしはすべての課題曲を、『レ・ミゼラブル』の劇中歌「Bring Him Home」みたいに、声を張り上げて熱唱してしまったから。後日、コーラスディレクターの気難しくて短気なディール氏から改めて電話があった。オーディションの審査員席に座っていた彼は、女性物の服装をしていた。一度目は呆気に取られてしまったけど、なかなか面白い声してたから、もう一度チャンスをやろう、と言われた。でも、わたしは断った。よくよく考えてみると、「ミネルバーネア」の、あの真っ青なポリエステル製の舞台衣装を着る気にはなれなかったから。

代わりに、わたしは「ミルバーネット」の公演に足繫く通い、見知った子たちの歌声を鑑賞した。そして、わたしは学校のミュージカルクラブに参加した。(印象に残っているのは『キス・ミー・ケイト』で、わたしは一言しか台詞のないドアマンを演じた。)それから、わたしはフェンシングチームにも入った。―わたしの志望大学はスポーツをやっていた方が合格しやすいというのもあったし、女の子の友達も何人かフェンシングチームに入ったので、練習中、剣を交えるよりも長い時間、その子たちと喋っていた。

高校時代は楽しかった、なんて言うのはやぼったいと、卒業から年を重ねるごとに思うようになってきた。―高校時代なんて大体みんな楽しく過ごすものだし、運悪くそうでもなかった人たちも、彼らが卑下して言うほど悪い時代じゃなかったはずだから。わたしの場合、素敵な女の子たちに囲まれていたから、わたしの高校生活も当然素敵なものになった...と言いたいところだけど、必ずしもそう簡単ではなく、いつも素敵だったとも言えない。だけど、高校時代を通して概ね幸せで、わたしは周りから受動的に幸福感を受け取っていた。たまに無性に自分から動きたくなって、それはいつも突発的に起き、自分でも予期できないんだけど、能動的に幸福感をつかみに行くこともあった。たとえば、メイリングが長い袖を引っ張って、それを鼻のところにつけて、「私は象さんよ!」と声高らかに宣言したのを覚えている。周りのわたしたちも彼女にならって同じように宣言した。これは受動的な幸福の場面ね。それから、校外学習で行ったメトロポリタン歌劇場でオペラを観ながら、わたしとリンダはお互いに手振りでサインを送り合っていた。席が隣だったら言葉を交わすこともできたんだけど、わたしはバルコニー席で、彼女はオーケストラ席だったから、ジェスチャーでやり取りしていた。オペラは長くて退屈だったけど、それで楽しい思い出になった。ジェニファーとの思い出は、早めに昼食を終えて、二人で立ち入り禁止のロープをくぐって講堂に通じる階段に座り、眼下の廊下を通り過ぎる生徒たちを眺めながら、一人ひとりについてコメントし合っていた。廊下にあまり人が通らない時は、本の話をした。胸がときめくような恋愛の恍惚感はなかったけれど、それに匹敵するくらい目がくらむような友情のときめきがあった。そうやって過ごしていた時間は、教室でわたしたちが受けなければならなかった学力テストに対して、心のバランスを取る行為だったのだろう。いわば廊下のテストで、お互いが着ているものや、お互いの発言、自分が何者であるかについて、わたしたちはテストしていたのだ。

それは姉妹関係であり、わたしはその中で唯一の男兄弟だったから、わたしだけ入れない女子同士の会話もあることはあった。―そんなに多くの女子に囲まれていたら、どうしても性的な目で見ちゃうだろうと、これを読んでいる人は思うかもしれない。でも、いくつかの例外はあったものの、それは滅多に起きなかった。代わりに、わたしは女の子の心のうちを垣間見ることが多く、女子の感情的な心象風景といったものを、わたし自身の内側に取り込むことができた。それが、のちの人生でわたしを形作る重要な要素になった。―わたしも含めて女子は、感情をオープンに表に出して過ごしていた。苛立ち、悩み、喜び、怒り、愛情など、色々な感情を隠すことなく、お互いにぶつけ合っていた。あの年代の男子からは、そういった何でも表に出すような態度は感じられなかった。10代のあの時期というのは、すべてが大きな出来事に思えてしまうものだ。のちにトラウマとなるような、あるいは...のちに笑い話となるような、いずれにせよ、メインイベントの連続なのだ。だけど、わたしは女子たちからその対処法を学んだ。喋って、喋って、喋りまくること。そうすれば、大体乗り切ることができた。それでもうまくいかない場合、まだわだかまりが残っている場合は、髪を切ったらいいよ、とリンダに教わった。彼女が言うには、人生を変えたかったら、髪を切るのが一番手っ取り早い方法で、髪を切ってみると、不思議と人生が変わり始めるんだとか。

みんな真面目な女の子だったから、あまり男の子とデートしたりはしなかった。同じ理由で、わたしも男の子とデートしなかった。もうちょっと早い段階で男の子への気持ちが芽生えても不思議ではなかったんだけど、目ぼしい男子がそんなにいなかった。わたしたちの高校はわりと小規模(生徒数は1学年160人かそこら)だったから、本好きで、はきはきとしていて、キュートで、分別があって、賢い、わたし好みの男子はそうそういなかった。今振り返ってみると、何人かそういう男子がいたことはいた。彼らはわたしとは接点のない遠い存在だったけど、わたしはそう決めつけることなく、淡い恋心を抱いていた。彼らは大抵わたしより1歳か2歳年上で、哲学者や作家について話していた。他の男子はスポーツとか、コンピューターについて話していたので、彼らの会話は私の気を引いた。べつに彼らとキスしたいとか、付き合いたいと夢見ていたわけではなくて、単に彼らに惹かれていた。大体は遠くから、たまに間近で彼らをチラチラ見る程度だったけど。

また、わたしは友達として誰かを好きになることはよくあった。―男女問わず、その人が何か、わたしの好きな要素を持っていれば好きになった。謎めいているから好きになるというのは、わたしにはなかった。わたしはボーイフレンドになりたいわけではなくて、お互いをよく知る親友になりたかった。わたしは早い段階で、実感としてわかっていた。好きな人よりも、好きな人のことを相談する相手の方が、重要な人物だということを。

わたしと周りの子たちは、デートをする代わりに、いろんなことをして高校時代を過ごした。みんながいたから、デート相手は要らなかったとも言える。〈ピクショナリー〉という絵を描いて単語を当てるゲームもたくさんした。しかも、しらふで大真面目にやっていた。それから、学校新聞や文芸誌も自分たちで編纂した。〈B.ダルトン書店〉というショッピングモール内の本屋がわたしたちのお気に入りの店だった。わたしたちは、〈ケイビートイズ〉の横の通路で踊っているような高校生ではなかった。週末にはニューヨークまで出て、半額チケットの列に並んでブロードウェイのショーを観たり、グリニッチ・ビレッジの古着屋で買い物をしたりした。美術館にも行った。食事は大体ファストフード店で、〈ベニガンズ〉、〈T.G.I. Fridays〉、〈チリーズ〉、それから地元のピザ屋〈ラ・ストラーダ〉にローテーションで通っていた。わたしたちが行っていた映画館はニュージャージーに二つあって、メジャーな映画を見る時は〈モリスタウン・マルチプレックス〉、芸術性の高いマイナーな映画を見る時は〈ロストピクチャーショー・ユニオン〉に行った。ただ、後者の映画館は古びていて、雨が降っている日は雨漏りした。わたしたちはマーガレット・アトウッドとか、J.D.サリンジャーとか、カート・ヴォネガットを好んで読んだ。(アイン・ランドを読んでいる子もいて、わたしもちょっと読んでみたけど、わたしには入り込めなかった。)わたしたちは芸術についても語り合った。もっとも自分たちが芸術を語っているなんていう高尚な意識はなかったけれど。卒業アルバムの寄せ書きに、ソンドハイムが作曲したミュージカルソングの歌詞を書く人も何人かいた。

同性愛に目覚める少年の多くは、―自分が同性愛者だとまだ気づいていない人も含めて、―高校時代を、自分は孤独な存在なんだと感じながら過ごすことになる。好きな人を見つけることができずに自分は普通じゃないんだと思い、周りに溶け込むことができずに自分は他の人とは違うんだと感じ、誰ともカップルになれずに孤独感にさいなまれることになるわけだ。わたしの周りには素敵な女の子たちがいたから、そういった思いに囚われることは少なかったけれど、たまに一人になると、わたしは孤独な男子だった。今から振り返ってみると、カップルになってもどうせ短い期間で別れるのだから、そんなつかの間の付き合いなんて馬鹿馬鹿しいとさえ思っていたふしがある。だけど、周りの女の子たちが同じボートに乗っているかのように思いを共有してくれたので、わたしの孤独感はすぐに消えた。長く暗い、魂が孤独にもだえるような夜を、高校時代に経験せずに済んだのは、良き仲間たちと魂の部分でつながっていたからだ。

女の子たちとわたしは、人目もはばからずに一緒にいて、はしゃぎ合っていた。それはとどまることを知らず、わたしたちは授業中でもメモを回して会話していた。その膨大なメモをすべてつなぎ合わせて、それを楽譜に見立てて演奏すれば、高校時代の壮大な交響曲を奏でることができそうだ。しかも、分刻みで細かく高校生活を再現できてしまう。絶え間なく続く観察と内省の、その瞬間瞬間を言葉に置き換えたきらめく詩(うた)だ。

すべてが平穏に流れていたのだが、卒業が間近になり、プロムというダンスパーティーが近づいてくると、ざわざわと波風が立ち始めた。わたしにとっては特に一大事というわけでもなく、―わたしはすでに2年生の時のプロムに、ある女の子に誘われて参加したことがあった。彼女はそんなに知らない子だったから、きっと彼女が作成した候補者リストを上から順番に誘っていって、一番下に書かれていたわたしにたどり着いたのだろう。わたしはその場で快諾した。彼女と一緒に踊って、楽しい夜を過ごしたけれど、わたしのその後の人生を永遠に変える一夜にはならなかった。そして最後のプロムが近づいてきて、わたしは(いつものように)空いていた。連れ添う相手が決まっていないわたしが、いったい誰を誘うのか、それはわたしが不在中の、女子たちのホットな話題だった。わたしが教室に戻ると、彼女たちが急に話題を変えるのがわかったけれど、わたしは素知らぬふりをした。

わたしはジョーダナをプロムに誘うことにした。彼女は同じミュージカルクラブのメンバーで、2年生の真面目な子だった。奇妙な反応だと思われるかもしれないけど、文化祭の舞台で上演した『サウンド・オブ・ミュージック』で、彼女が修道女を演じているのを見て、わたしは彼女を誘いたいと思ってしまった。修道服を着た彼女が「すべての山を登れ」を歌い上げながら、マリアの手を取り、逃げるように説得するシーンを見ながら、わたしは、ジョーダナと一緒にプロムに行ったら楽しいだろうな、と真剣に思った。付き合いたいというよりは、恋人の代わりになるような友人として仲良くなりたい、と。

わたしの知り合いにジョシュという男子がいて、彼もたぶんジョーダナをプロムに誘いたいんだろうな、とわかった。そこでまずはデートではなく、ジョーダナをファストフード店に誘って、彼女に選択肢を与える感じで会話しながら、彼女の気持ちを確かめることにした。わたしたちは〈ベニガンズ〉に行ったのだが、わたしはテンパってしまい、モッツァレラ・スティックを食べながら、実存的危機に陥りそうだった。ジョシュのことも頭をよぎり、彼女をプロムに誘うかどうか、懸命に考えていた。

その時突然、ロクセットの歌声が頭上から降ってきた。

そうでなければ、わたしはジョーダナをプロムに誘わなかったかもしれない。〈ベニガンズ〉の天井に備え付けられたスピーカーから、ロクセットの伸びやかな歌声が舞い降りてきて、「Listen to your heart」(自分の心に聞け)と訴えかけてくるものだから、それが引き金となった。わたしの心は「行け!」と言っていた。わたしはジョーダナに「プロムにジョシュと行きたいのなら、そう言ってくれて構わない」と、つい言ってしまったのだが、結果、彼女はわたしと行きたいと言ってくれた。

わたしはひと仕事を終えた気分で、とにかくほっとした。

しかし、事態は予想を上回る展開となった。わたしは常に喜悲劇混在の状態を望んでいたとはいえ、ここまで混在度が激しさを増すとは想像できなかった。いわば、わたしがプロムの相手を決めたことにより、椅子取りゲームの音楽が止まったのだ。わたしが誘ってくるかもしれないと待ち構えていたわたしの周りの女子たちが、一斉に近場の椅子に飛びつくように、近くの男子を誘い出した。プロム前の騒動、下品な言い方をすれば、狂乱の奪い合いを引き起こした原因はわたしだった。真面目ないい子たちが、なりふり構わず目ぼしい男子を誘っていった。みんな希望通りの相手をつかみたいようだったけれど、大体みんな、希望通りにはいかなかった。―わたしの場合も、どうやらジョーダナはジョシュと来たかったらしいということが、彼女の視線や仕草からわかり、プロムの間中、お互いにぎこちない感じになってしまった。それでも、プロムの時にみんなで撮った集合写真を見ると、わたしたちはみんな幸せそうな表情をしている。―前の列にグッドガールたちが並び、後ろの列には、女子たちをエスコートしようとタキシードでビシッと決めた男子たちが並んでいる。男女の組み合わせは、ほとんどランダムといった感じだ。男子も女子もみんなドレスアップしていて、わたしたちは、いっぱしの大人になったんだと思っていた。もちろん今から見れば、実際みんな若すぎて、目が潤んでしまう。わたしが年を取るごとに、写真の中のわたしたちはどんどん若くなってゆく。

わたしたちの友達付き合いは、異なる時代のちょうど過渡期に当たった。わたしたちのコミュニケーション方法や知識を得る方法は、今の高校生とはだいぶ違っていて、わたしたちの両親世代が高校時代に経験したことの方がはるかに近い。わたしたちが高校を卒業してから5年もしないうちに、何もかもが様変わりした。わたしたちの高校時代は、まだ電話にコードが付いていた。―子機はあったので、部屋で一人になって話すことはできたけれど、親機はコードで壁につながっていた。わたしたちが「チャットする」と言えば、タイピングを介さないものであり、テキストページという言葉は、まだ本に関する会話で使う言葉だった。裸の写真を見たくなったら、町の本屋に行って、周りを気にしながらそういう雑誌を覗き見るか、『The Joy of Sex(セックスの喜び)』とかの本の挿絵を見るか、「ナショナルジオグラフィック」で未開の地に住む民族の裸を見るか、R指定映画のビデオで慎重に狙いを定めて一時停止しなければならなかった。知り合いはみんな同じ町に住む子たちで、唯一の例外はキャンプに行った時に知り合った子たちだった。音楽バンドも、ラジオかMTVで曲が流れたバンドしか知りようがなかった。わたしにとってあの時代は、今のわたしを形作っている細々としたポップカルチャーに出会う前、つまり大学に行く前の、まだ自分の色が定まっていない不安定な時代だったわけだけど、わたしは幸せだったから、わたしは誰なのだろう、とアイデンティティを自らに問うこともなかった。

わたしがゲイだということを、自分でも気づいていなかった時点で、周りの女の子たちが気づいていたのかどうかはわからない。もしかしたらパズルの色々なピースを組み合わせるみたいに、周りの子たちは薄々感づいていて、わたしが自分で気づくのを待っていたのかもしれない。少なくとも一人は、確実に気づいている子がいた。―というのも、大学1年の時にレベッカから手紙が来て、そこには大まかに、「もしゲイでも、それって素敵なことだから、もう隠す必要なんてないのよ」みたいなことが書かれていたから。わたしはそれを読んで傷ついてしまった。―わたしがゲイだと彼女が知っていたことに傷ついたわけではなく、わたしがそんなに大きなことを友達に隠していた、と彼女に思われていたのが辛かった。わたしはただ気づいていなかっただけなのに。わたしは彼女に返事を書いて、わたしがゲイだってことを堂々と周りに話すようにするよ、と断言した。―その時はまだ、自覚するまでにもう少し時間が必要だったけれど、その返事を書いている時点では、それは正しい判断だったと思う。それからしばらくして、自分がゲイだとはっきりわかると、わたしは実際にそれを隠そうとはしなかった。わたしを形作る他の要素と同じように、ゲイであることもまた自然なことのように感じた。だけど、高校時代に気づかなくて良かったと思う。もし自覚していたら、間違いなく経験することになっただろう不安や恐怖や自己否定を、わたしは幸運にも経験せずに済んだのだから。わたしはこういう人なんだからこれでオーケーとか、他のみんなもそれぞれでオーケー、そういうことは徐々にわかってくるもので、すぐに思えるものではない。それと、わたしが医学部に進学するつもりだということはあえて言わなかったんだけど、話していたら彼女たちは、わたしがゲイであること以上に驚いたに違いない。

わたしは大人になり、作家になった。取材などで多くの10代の若者と接する機会を持って実感するのは、当時と比べて今は、本当にたくさんの可能性が開かれているということ。わたしたちが経験できなかった楽しいトラブルが今はたくさんあるのがわかる。わたしがゲイだと自覚するのが遅かったのも、比較的情報の少ない時代のお陰だったんだなと思う。真面目ないい子でいたから、経験するチャンスを逃したこともあったことはあった。わたしの周りの子たちも、ある種のリスクや危険な冒険から自分の身を遠ざけるように生活していた。いわばシェルターで守られた生活だけど、今はそのシェルターに感謝している。わたしにはシェルターが必要だったのだ。それで開花が遅れた部分もあったけど、逆にシェルターのお陰で、綺麗に花をつけた部分もたくさんあったのだから。経験できなかった良い事もあったのはわかっているけど、経験せずに済んだ悪い事だってたくさんあったのだから。

わたしの周りにいた良い子たちのほとんどは、―高校から大学、そしてその後の人生を通じて、―良い男友達や良い女友達、すなわち良い仲間を見つけることができている。わたしも、自分に似通った高校時代を過ごした男友達、つまり真面目な女子たちに囲まれて過ごした男友達を見つけられた。わたしたちは男だけで集まって、今も高校時代の女子会のようなことをしている。秘密を打ち明け、相談に乗り、ペチャクチャと喋り、楽しい時間を過ごしているわけだ。高校時代にこんな将来を想像できた子はいなかったと思う。いつの日にかそれぞれが、自分と似通った人たちと、自分が好きな人たちと、高校時代と同じようなグループを形成することになるとは、あの頃は誰も思わなかったはずだ。

高校時代は今から振り返れば、はるか遠くに見える記憶である。しかしこれだけは言える。わたしはこれからも、わたしを育んでくれた真面目な女の子たちに感謝し続ける。彼女たちがいなければ、今のわたしとはかけ離れた大人になっていただろう。






〔感想〕(2020年4月4日)


ピンクの花が咲き誇る高校時代を回想した短編で、藍(ぼく)もピンクの色鉛筆を握っているイメージで訳しました。(実際握りながら訳した時間もあった。笑)

ただ、ところどころに「孤独の影」が見え隠れするというか、実際はこんなにピンクピンクしていなかったんじゃないか? と思わせる記述が挟み込まれていて、藍も記憶の色を変えちゃえ!と思え、勇気づけられました!!笑


それから世代的に共通要素が多く、ビデオやコミュニケーションツール関係にも、とても共感しました。

国は違っても、地球って丸いから、半日後には同じ地点で同じ太陽を浴びることになるし、そういう意味では同じ時代を思い返している感覚があって、ノスタルジックに藍の目も潤んでしまいました...涙

ただし、藍の高校時代はどんなに念を入れて記憶を捏造しても、藍色はピンクにはならず、せいぜいあの日あの時見上げた空の青さに近づくくらいだったけれど...泣


それにしても、アメリカの多くの小説に出てくるプロムって、なんだか羨ましい...💙







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