「より優れた書き手」 by デイヴィッド・レヴィサン 訳 藍(2020年6月20日~2020年6月29日)
トラック 8
より優れた書き手
ここに本当の話は含まれていない。―とはいえ、誰かを好きになる時ってこんな感じじゃないかな? あるいは、ここに一つの物語を読み取れるかもしれないが、それは当時の私がその中を生きていると思っていた物語とは別物である。時が経ってから振り返ってみると、違う物語に見えるというのも、恋していた人あるあるだね。
私は大学の新入生で、小説の創作講座を取った。結局、後にも先にも創作講座を受けたのは、唯一この時だけとなった。まあ、それはどうでもいい。その講座は一定の水準を満たさないと履修できない科目で、私は1年の後期に早々と取ることができ、その点は誇らしかった。クラスの他の人たちは、ほとんどが私より年上で、その中にジェイミー・ウォーカーがいた。
ジェイミー・ウォーカーは、私が生まれた町の出身だった。私はその後すぐ1歳の頃、2つほど町を隔てた場所に引っ越し、(大学まで)そこで暮らしていた。彼はくるくるとしたこげ茶色の巻き毛が印象的で、身長は私と同じくらいだった。彼の目の色は思い出せないが、彼の瞳にきらめく光が浮かんでいたことは、はっきりと覚えている。そのきらめきは、人生に没頭している人の目がよく放っている輝きである。私の好みをいえば、色気に満ちたホットなタイプよりも、可愛いらしいキュートなタイプに弱いのだが、彼はまさにキュートだった。少なくとも私の記憶の中では、彼は私好みのキュートな少年である。今すぐにでも本棚から「facebook」(小文字の「f」で始まる、実体のある紙のアルバム「facebook」)を引っ張り出して、当時の彼の顔写真を見ることはできる。しかし、彼よりはるかに年上になってしまった今の私が、当時の彼を見るのは、やはり違う気がする。当時は2歳しか離れていない彼が、私の目にはずっと年上の大人に見えたのだ。今になって、そのアンバランスな印象を変えたくはないし、当時の彼のまま、記憶の中に留めておきたい。たとえそれが漠然とした記憶でも、ひょっとしたら記憶違いだったとしても、彼が実際にどういう人であったかよりも、私にとって彼はどんな人だったのか、その方がはるかに重要なのだ。
当時は1991年だった。―これは書いておくべきだろう。電子メールが登場する前、シチュエーションコメディの傑作『エレン』もまだ放送前、パソコンの電源を入れて、画面越しに世界を見るなんてことは、まだ誰もしていない年だった。私個人としても、まだ私がゲイだと認識する前のことで、今では男とのキスは、したくてするものだが、当時はまだ、不意の衝突として唇が当たってしまった程度のものだった。その時は、私は自分を作家だとは思っていなかったし、作家だと名乗れるような、真の意味での良い作品もまだ書けてはいなかった。
創作講座は図書館で幕を開けた。「図書館」という響きからは、本に囲まれ、ロマンに溢れた空間という印象を受けるかもしれないが、当時建てられて間もなかった、そのモダンな図書館は、四方をコンクリートに囲まれ、なんだか心が息苦しくなるようだった。講師として私たちを指導したのは、大学院でMFAを修得中の学生だった。彼女は当時から現在に至るまで、私が調べたところ、どんな出版物も何一つ書いていないようだ。彼女の指導方針は、気の利いたことが言えないのなら、何も言うな、という感じだった。だからなのか、私たちがちりぢりになって文献を探している間、彼女は何も言わず、ただ黙って見守っていた。
講師の厳しい統制が敷かれない場合、創作講座はさまざまな具材が煮えたぎる鍋のような状態と化す。傷ついた感情を書く者、熾烈な野心を書く者、束縛を解かれ抑えが利かなくなった防衛本能を書く者、そして三流の群れには希薄な仲間意識ができ、仲間に入れたことを誇らしく思う者たち。まさに初日から、誰もが仲間を見つけようとする。それから徐々に、第三者の批評が入って来たりして、自分の仲間への忠誠心を顧みることになるわけだ。そのクラスにいた他の人たちについては、あまり覚えていない。―独特な構文でSF小説を書く男がいた。彼はすべての登場人物の名前に「z」の文字を入れ、それを読者に気付かせるためか、「z」だけ字体を変えていた。それから、失恋の話を書いている女子もいた。ひどい別れ方だったから、彼って冷たいね、とか、相手への思いやりがないね、みたいなことを私が指摘したら、彼女は急に泣き出してしまった。(その時、私はとても貴重な教訓を学んだ:失恋話を批評する場合、念のため、筆者の実体験だと思ってコメントした方がいい。)そういえば、私の短編にしつこくいちゃもんをつけてきた男もいたな。私が書いた登場人物が、ミシガン州の長い道路をドライブしながら、フォルクスワーゲンを見つけようとしたシーンだ。彼は「なんでフォルクスワーゲンなんだ?」と、少なくとも5分間私を問い詰めてきた。車種に深い意味はないと説明しても、彼は信じようとしなかった。
私はその男がどんな外見だったのかは思い出せないが、その時期、段々と気候が暖かくなってきて、春がやって来つつあり、ジェイミー・ウォーカーがVネックのシャツを着ていた、ということは鮮烈な記憶として覚えている。下着を、しかもVネックの下着を、普段着として着ている男を見たのは、たしか初めてだったと思う。その時にはすでに、私は彼に恋心を抱いていたんだと思う。そうでなかったら、Vネックを見た私は、うわっマジかよ、と引いてしまっただろう。逆に私は、彼の首筋を見つめていた。誰かの首を見たことなんてそれまで一度もなかったのに、ふと気付くと、じっくり彼の首を観察している自分がいた。首の下の空間に気を取られたことなどなかった私が、突然そこが気になるようになっていたのだ。私自身の胸はすでに毛むくじゃらで、世界に向けて公開したいなんて気持ちはまるでなかった。しかし、彼のV字の谷底に少し顔を出すほつれ毛は、彼のあごに生えた無精ひげの余韻のようで、私の好奇心をビリビリと刺激し、私は満タンに充電されたみたいに居ても立っても居られなくなった。一方で、戸惑いを覚える自分もいた。私は彼のV型の空間に触れたいのだろうか? そのVを指でたどりたいというのか? あるいは単に、私自身も彼みたいな体になりたいだけか? 彼が魅力的だと感じているのか、それとも、私自身も魅力的になりたいと思っているのか、その辺の判断がつかなかった。というのも、ざっくりと開いた胸元は、セクシーであると同時に、私に欠けている開放性を示してもいたから。
私たちはお互いの短編小説が好きだった。それは早い段階から明らかで、私の作品に対するみんなの批評が私の手元に戻ってくると、私は真っ先に彼の筆跡を探したものだ。私たちは隣同士で座ることもよくあったし、大体は近くに座って授業を受け、授業が終わると、二人で会話しながら図書館を出た。ただ、図書館の階段を下りきると、じゃあまた、と言い合って、別々の方向へ歩いていくのだった。
私は彼について、色々なことを忘れてしまったのかもしれない。(失恋が無期限のカタログにしまわれ、いつまでも残り続けるのとは逆に、ときめきの記憶というのは、極めて有限なものだから。)だが、ある日、講師が珍しく課題を出してきて、私たちは驚いたのを覚えている。クラスの誰か他の人と作品を交換し、脱構築の手法で書き換えなさい、という課題だった。相手の詩を物語に変えてみたり、あるいは逆に、物語を詩に変換したりといったやり方だ。私たちは自由にパートナーを選ぶように言われ、ジェイミーが私を選んでくれた。
翌週、私たちは物語を交換した。紙ではなく、電子的な交換だった。―当時はフロッピーディスクに入れて、それを交換した。彼からディスクを受け取ると、私は待ち遠しい気持ちで放課後まで過ごし、それから寮の部屋へ戻って、それを読んだ。彼の小説を読んでいる時、私は一人きりだった。―これははっきりと覚えている。私のルームメートはどこかへ出掛けていた。私は緊張しつつも、興奮していた。―「緊張」と「興奮」、この二つの言葉は、片思いの心情を表すのに最もふさわしい。―私がジェイミーに渡したストーリーは、ある家族の話だった。祖父が暴君タイプで、孫は祖父のご機嫌を取って期待に応えようとするのにうんざりしていた。ある日、猟銃を持って狩りに出た二人だったが、誤って、孫が祖父を撃ち殺してしまった。私としては、まずまずの出来ばえに満足していた。私が書くフィクションのほとんどがそうであるように、この話も完全に架空の物語で、自分の人生における実際の機微があちこちに散りばめられている、なんてことはなかった。一方、ジェイミーが書く物語は、私が思い出せる限りでは、大体、馬鹿なことをしでかす大学生の話だった。友情の話とか、恋愛の話とか、あるいは、友情と恋愛がもつれる話とか。私は彼に恋愛話をどんどん書いてきて欲しかった。この話を最初に読むのは私だということを、彼は知りながらこれを書いたんだと思うと、なんだか胸躍る心地がした。
彼の物語は平凡な日常風景から始まった。二人の男子高校生が部屋で『七人の弁護士』を見ている。『七人の弁護士』は、当時テレビで人気を博したドラマの一つで...たしか、ロサンゼルスを舞台に活躍する弁護士集団の話だった。彼らは空回りしつつも、時にコミカルに問題を解決し、裁判では常に勝訴を勝ち取った。彼らは皆セクシーではあった。1980年代特有の、―あのこんもりとした髪型、鍛え上げられた肉体、ボディービルダーほどではないが、彼らの腹筋はしっかり割れていた。とはいえ、私のタイプではなかった。私はリヴァー・フェニックスをこよなく愛していたから。あと他に挙げるとすれば、キアヌ・リーブスもそれなりに好きなタイプだった。
ストーリーに戻って、『七人の弁護士』を見ていた二人の高校生の間には、緊張感が漂っていた。―それはロマンチックな緊張感で、恋愛に発展しそうな雰囲気もあった。それから、パッと場面が転換し、『七人の弁護士』のあるエピソードが描出される。二人の男性弁護士が口論をしているが、なぜか、彼らの間にもロマンチックな緊張感が漂っていた。今にも喧嘩になるんじゃないかと思った瞬間、急に二人が抱き合い始め、私は読みながら目を丸くしてしまう。『七人』の中の、ジミー・スミッツとコービン・バーンセンだったと思う。あるいは、ジミー・スミッツとブレア・アンダーウッドだったかもしれない。どちらだったかは思い出せないが、二人が突然服を脱ぎ出し、ベルトを外した。ズボンがするりと下に落ちる。そして、お互いが欲しくて欲しくてたまらなかったみたいに、二人は猛烈な勢いで抱き締め合った。それから熱い熱いキスを交わす。片思いが相思相愛に転じた瞬間の、本物のキスだった。
私はそれまでに何百冊もの本を読んできた。何百ものストーリーをくぐり抜けてきたつもりだった。私の本棚には、ジャッキー・コリンズ、ナンシー・フライデー、ケン・フォレットといった、セックスシーンに開放的な作家の本も並んでいて、私はしばしばそういう、様々な角度から性に迫る本を開いては、物思いに耽っていた。それなのに、それらの本は何の心の準備にもなっていなかった。彼の小説には、実際に誰かが首元で吐息を吹きかけてくるような、その誰かの手が現実に腕をさすってきて、ズボンの一番上のボタンを外される、そんなリアルさがあったのだ。文字で書かれた言葉がこれほどのセンセーションを放つことが可能だとは、それまで知らなかった。物語を通してでも、ハードなキスの実感や、温かい体の質感、しなやかな指の感触を伝えられることを初めて知った。上手く書けば、言葉で力学的なシステムを構築できることはわかっていたけれど、ここまで激しい衝撃を放てるとは思っていなかった。彼の小説の登場人物たちは、私の目の前で、―掴み合い、求め合い、絡み合い、それから、ふっと力を抜いて体を引き離した。彼らがそこにいる、と私は信じてしまった。そこは他者の認識の及ばない場所だったが、私には彼らの声がますますはっきりと聞こえた。彼らになりたいと思っている自分がいた。私も彼らみたいに、ほとばしるような恋の体験がしたかった。
私は課題をこなすことができなくなっていた。どうしてもそのストーリーを変えたくなかったからだ。まあ、単語を一つ二つ、ちょこちょこと校正するくらいはしたけれど、脱構築なんてできるはずもなかった。アレンジし直したり、改編したり、内容を他の形式に移したりといったことは、どうやっても不可能だった。やろうとはした。物語を後ろから逆再生してみたり、フレームを反転させたり、試行錯誤はしたけれど、結局無理だった。その作品はもうすでに、あるべき姿になっていたのだ。
ジェイミー、君はそっち側の世界にいるのかい? なぜ君は私にこの話を書いてよこしたんだ? もしかして、私にもそういう素質があると察したのか? 私がまだそのことに気付いていないだけだって、目覚めさせようとしたっていうのか? これって私を誘っているのか、あるいは、誘惑以上の意味があるのか? それとも、この課題が出る前からこのストーリーを書いていて、その日にたまたまパソコンの画面上にあったから、この話にしたってだけか? 課題が出た日の夜、テレビをつけたら、たまたま『七人の弁護士』がやっていて、見ているうちに、これを題材に使おうと思い付いただけで、誰が最初にこれを読むかなんて、気にもしていなかったのか? 君はこの小説を通して、私に個人的に何か伝えたいことがあるのか? それとも単に、私を含めた一般読者に伝えたいことがあるだけか?
私が聞きたかったそれらのことを、私はメモ書きとして、彼の文章の下に書き込んだ。次の授業で彼にそれを手渡すと、私のメモ書きを見た彼は、にっこりと微笑んで、授業が終わったら話そう、と言った。それから授業が終わるまでの1時間は、ひたすらそわそわしていた。女子たちが、血にまみれた鮮烈な詩を読み上げていた。SF少年は、ザイファーとザズローが旅を続ける時空について説明していた。彼らは、残忍な魔王ザートラから、恐ろしい鉱物ジロンを奪い取り、なんとしてでも宇宙の連続体に迫る危機を回避したいそうだ。その間にも私たちの期待感はどんどん膨らんでいき、期待以上の確信へと変わっていった。いつしか緊張感も相手を欲する思いへと凝縮し、授業が終わる頃には、私たちはお互いのことしか考えられなくなっていた。授業が終わるとすぐに、私たちは言葉も交わすことなく、お互いがお互いを引き連れるようにして、図書館の奥へと向かった。私たちが入ったのは「キャレル」と呼ばれる自習用の閲覧室だった。ドアを閉め、他の学生たちの気配が消えると、私たちは何の前置きもなく、キスをした。そうして私は、今までずっと見つめてきた彼の首元に触れた。ようやくVネックに触れられた。V字を崩すように手を入れ、彼の胸をまさぐる。その間、彼の手は私の背中を這うように下がっていった。私はお尻をつかまれ、思わず、あえぎ声を上げてしまう。やっと私は、欲しかったものを手に入れることができた。彼の胸に顔をうずめながら、歓喜の声を必死で抑えていた。私が無意識で探していたものは、これだったんだ。単に彼を求めていたのではなく、この全身を覆い包む感覚すべてを求めていたんだ。そう思い至り、私は感動の涙さえ流していた。それを見た彼は、指で私の涙を拭うと、おもむろに深く長いキスをした。キスは段々と馴染んできて、心地よさが増していく。ああ、キスをしているんだ、と認識できるようになった頃、彼がクスクスと笑って、ささやくように言った。シー、声出しすぎ。すべては冗談だと言わんばかりの彼の笑顔に、それでいて、「オールOK」だと、すべてを肯定してくれるような彼の笑顔に、私は思わず、もう一度キスしてしまう。それから彼の手を取り、キャレルを後にした。私たちは一緒に夕食を食べ、手をつないで夜の街を歩いた。遅くまで話をし、それから一緒に寝た。翌朝目を覚ました私たちは、同じベッドにいるのが当然のように、「おはよう」と言った。
あの時メモ書きをしておけば、そうなったかもしれない。しかし、私は彼の文章の下にそんなメモ書きはしなかった。―少なくとも、そんなことは書き込まなかった。そのストーリーがどれほど気に入ったかを素直に書いたかどうかさえ覚えていない。もしかすると、「この文章を短く切り詰めて、詩にするのは難し過ぎる」みたいなことを書いただけだったような気もする。一方彼は、15ページほどあった私の短編小説を、見事に3ページ程度に脱構築して返してきた。私たちはお互いの作品から、フレーズを引っ張り出しては、意味が無限に広がるような散文詩を即興で作り合った。そういえば彼は、私が彼の作品の中でちょこちょこと校正した箇所を引き合いに出して、褒めてくれたっけ。私は編集者向きってことか。
結局、授業以外で彼と会うことは一度もなかった。年末が近づいてきた頃、私たちの大学で発行している新聞が、2ページに渡って、大学で開催された〈性の多様性をめぐるスピーチコンテスト〉の特集記事を掲載した。私は大学新聞の編集に携わっていたので確かに覚えているが、そこに、壇上で演説する彼の写真が何枚か載っていた。彼はオードリー・ヘップバーンが映画で着ていた感じの、(私の記憶が正確なら)ノースリーブのドレスに身を包んでいた。彼が性的少数者の思いを訴えていた夜、私は、まず間違いなく、フランネルのチェックのシャツに身を包み、寮のルームメイトと、テレビで『ツイン・ピークス』を見ながら、おちゃらけ合っていた。ジェイミーと私は別々のやり方で、大学生活を満喫していたわけだ。
私は他のライティング講座を受講したことは一度もなかった。だから、彼がきっかけだと思う。それから私のフィクションには、ゲイが登場するようになった。ある作品では、自分がゲイだと自覚のある登場人物が、また別の作品では、自覚のない登場人物が現れ出した。私が意図してゲイの登場人物を書くこともあれば、私は全く意識していなかったのに、書き上がった小説を読み返してみると、彼はもしかしたらゲイなのかもしれない、と後から気付くこともあった。
遠くから眺めてときめくことと、恋愛には違いがある。一歩踏み出し実行に移せるかどうか、メモ書きに思いの丈を書き込めるかどうかで決まる。今の私なら、メモ書きに聞きたいことを率直に書いたことにして、ジェイミーと私が一緒にいたかもしれない世界を書くこともできる。つまり過去を修正できるわけだ。しかし、そうやって創り出した世界は、当時の私があれこれ思い悩みながら暮らしていた世界とは違う。
儚く散った恋なんていうものは、往々にして、次の恋ではうまく関係を築けるようにしよう、という手がかりしか得られないものだが、ジェイミー・ウォーカーからは、少しだけそれ以上のものをもらった。彼は意図していたのかいないのか、―きっと意図していなかったのだろうが、―彼のお陰で、私の作家としての腕は上がった。いわば彼が、私をより優れた書き手にしてくれたのだ。少なくとも、私の中のある部分を探り当て、切り開いてくれたのは彼だ。いずれ残りの部分も、連鎖的に開かれていくだろう。
了
〔感想〕(2020年6月29日)
「文字で書かれた言葉がこれほどのセンセーションを放つことが可能だとは、それまで知らなかった。」
強烈なセンセーションを、藍も今まで何度も受けてきた。デイヴィッド・レヴィサンとレイチェル・コーンの共著『ダッシュとリリーの冒険の書』からも受けたし、最近では伊坂幸太郎の『逆ソクラテス』からも受けた。
藍は天才作家たちが書いた文章を見つめながら、まるで手の届かないテレビ画面で日本代表のバスケットボール選手が、高度な技でするりと強豪国の相手選手をかわし、試合終了とほぼ同時に逆転勝ちするのを目の当たりにしたような、感慨になる...涙
気づけば、藍は泣いている...
藍は天才作家たちが、どのような練習を積み重ねてきたのか知る由もない。ウィキペディアにも書かれていない。練習方法は、試行錯誤しながら自分で開発していくしかないのだろう。
そして、そんなセンセーションは、藍の中でインスピレーションに変わる。充電されて電気満タンの青色ランプが点灯しているLEDライトみたいに、藍も書ける! とやる気に満ちるのだ!!!(なるべくなら、パクリになりませんように...爆笑)
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