「8曲の回想録」 by デイヴィッド・レヴィサン 訳 藍(2020年6月29日~2020年7月17日)
トラック 9
8曲の回想録
僕が最も覚えているのは、もうすぐ曲が終わっちゃう、と慌てて台所に駆け込み、録音中のダブルカセットデッキの一時停止ボタンを押していた時のことだ。
何も懐かしさに浸って、キラキラ煌めくようなあの頂を回想しようというつもりはないが、あの頃を思い返すたびに、結局僕はノスタルジアに浸ってしまう。―僕は別の部屋で手紙に1曲ずつ曲名を書き込みながら、静かな台所でオリジナルのアルバムを作ろうと録音している。トーリ・エイモスが『Silent All These Years』を歌っている4分12秒の間、カセットカバーに写真を貼ったり、水彩絵の具で淡く滲ませたり、油性ペンで曲名を書いたり、そういったことをしていてもよかったのだが、滑らかなピアノの前奏の後、彼女の語りかけてくるような歌声が聞こえ始めると、僕は手を止めてしまった。そして彼女が「Don’t look up—the sky is falling(上を向くな―空が降ってきているから)」と歌うと、思わず、窓の外の空を見上げてしまう。彼女がこの部分を歌う時、僕は必ず空を見上げてしまうのだ。僕は意識を集中し、台所から聞こえてくる彼女の歌声に聴き入っている。手紙の相手はこの曲をどのように受け止めるだろうか、と思いながら。
頭にはそれしかなかった...
やばい。突然しゃっくりのような焦りが脳裏をよぎる。
その曲がもうすぐ終わろうとしている。僕はまだ別の部屋で窓の外を見上げている。1曲ごとに一時停止ボタンを押し、左側のカセットを他の曲に入れ替えなければならない。
僕は本能のおもむくままに駆け出す。―台所の一歩手前で速度を緩め、なるべく音を立てないように、かつ急ぎながら空中を泳ぐように、手を伸ばし、次の曲が始まってしまう前に、一時停止ボタンを押す。(もし失敗したら? もちろん何度も失敗した。間違って違うボタンを押してしまうと、カチャッという音が録音されてしまったり、「しまった」という僕の声も録音されてしまったりする。そういう時は巻き戻して、初めから録り直すしかない。)
この苦労を我がことのようにわかってくれる人も中にはいるかもしれないが、多くの人には伝わらないだろう。だけど、こういう手間こそが、他のどんなことよりも、僕をノスタルジックな気分にさせてくれるのだ。
CDがカセットテープに取って代わり、ほとんどの人が〈ディスクマン〉に切り替えてからも、僕は長らく〈ウォークマン〉を使い続けた。(iPodの出現はまだ、かすかな光さえ見えず、SFの産物ともいえる絵空事だった。)
職場には、「カセットテープの墓場」と呼べる倉庫があった。〈コロンビアハウス〉から毎月送られてきたカセットテープが山のように置かれている。もう聴かなくなったテープや、あるいは、一度も聴かずに「墓場」に直行したテープもたくさんある。(毎月定期的に新譜やお勧めのカセットが勝手に送られてくるシステムだったのだが、面倒で定期配送を解約もせず、ほったらかしておいたから、こんな状態になったのだ。)
ただ、僕は「カセットテープの墓場」が大好きだった。コーラスグループのウィルソン・フィリップスが、ロックバンドのR.E.M.やトーキング・ヘッズと意図せずして一緒くたに並べられている唯一の場所だったし、トンプソン・ツインズとティル・チューズデイの髪型を並べて比べられる場所でもあったから。それから、職場でクリスマスカードの交換会をやる時に流す、僕の上司が好きだったレゲエ調のクリスマス曲集が入ったテープも、そこに保管されていた。その上司が退職した後、墓場の管理を引き継いだのは僕だった。僕は数ヶ月前まで、その墓場を一切いじることなく、そのままの状態にしておいたのだが、オフィスごと引っ越すことになり、新しいオフィスは整理棚を置くには極めて不便な造りをしていて、結局カセットテープの多くを捨てることになった。しかし僕は、ある程度のテープは残しておくように主張した。再生可能な機器は職場にはなかったけれど、中にはそれ自体が本質的に価値のあるものも含まれていたし、1987年からテレビやラジオで見聞きしたヒット曲のコレクションがいつでも手の届く場所に並んでいるというのは、少なくとも僕の魂には癒しだった。
「カセットテープの墓場」には市販のものが並んでいて、オリジナルのミックステープはあるはずもないと思っていたのだが、仕分けするように片付けている時、一つだけ紛れ込んでいるのを発見した。ラベルには僕の筆跡でこう書かれていて、それを見た瞬間、大爆笑してしまった。
Dread and Yearning(恐れと憧れ)
いかにも思春期って感じのタイトルで、だからこそ、その誠実さが胸を打つようでもあり、なぜか笑ってしまう。(そういえば大学時代、お気に入りの曲を集めて、Beautiful Desolation(美しき荒廃)というタイトルのミックステープも作ったな。このDread and Yearningは、その後の第二弾ミックスだった気がする。)
とはいえ、実際にこのミックスを作っていた時のことは思い出せなかった。カセットを裏返してみたが、片面しか録音しなかったようで、B面にはラベルも貼られていない。それで最初、中には何曲入っているのかもわからなかった。しかし今、バレンタインデーが近づいてきた日曜日の夜、外では雨が降っている中、いよいよ中身を聴く時が来た、と思い立ち、テープ上にどんなメッセージが磁気化され、録音されているのか確かめるべく、僕はプラスチックのケースからカセットを取り出した。
引き出しをあさり、単三電池を2本探し出す。
それを僕のウォークマンに入れる。
あやふやな円形をしたヘッドホンはもう持っていなかった。(壊れてしまった。というか、僕はいつもヘッドホンを壊してしまう。)代わりにイヤホンをつないで、耳に刺す。
再生ボタンを押した。
そのオリジナルミックスはまだ未完成だとわかった。中身は8曲だけだったが、ウォークマンがクルクルと回転しながら、時を経て再び命を吹き込む。
トラック 1:『Horses in the Room(部屋の中の馬)』by エヴリシング・バット・ザ・ガール
人生を完全なものにするために
特定の人が必要なのかどうか
誰か一人にこだわる必要はない。
思いもかけない瞬間にきっと
人生のドアをノックしてくる人がいる
そして人生を変えてくれると信じてる。
この曲を聴いていた頃から長い年月を経て、
当たり前の結論なんてないんだと気付いた。
僕はドアを開けて入っていくような人にはなりたくない。
僕はドアの前で突っ立っている人になりたい。
そんなところに突っ立ってないで 早く入ってきて あなたが誰でもいいから
トレイシー・ソーンがそう歌っている。
(僕はトレイシー・ソーンが大好きだ。彼女が小説の登場人物であっても、僕はそのままトレイシー・ソーンという名前にするよ)
当時の僕がこの曲をミックステープの最初の曲に選んだのは、―今ミックスを作ろうとしても、この曲を最初にするだろうな―
この曲は、部屋に呼んだ相手を歓迎しているようだから。
ドアを開けて部屋に入っていった時の温かみを感じるから。
このぬくもりは、希望の中にある確かさであり、希望以外のすべての中にある不確かさでもある。
この曲みたいなぬくもりを感じた時は大体、愛が見つかる。
トラック 2:『Fields of Gold(黄金の草原)』by スティング
この曲はちょっと今の僕には
笑っちゃって素直に聴けないかな
だって大麦だよ
大麦畑にロマンチックなことが転がってる
なんて思えないよ
黄金の草原を歩くって歌ってるけどさ
実際問題として
大麦を踏みつけながら
風が吹けば麦の茎にペシペシ頬を叩かれ
大麦が皮膚を引っ掻き、チクチク痒いし
大麦が靴の底に挟まって取れなくなる
僕は遠慮しとくよ
ロマンスに関して言えば
僕たちを取り囲んでいた光を思い出す
穀物は思い出さないな
あの頃、君の隣を歩いていた時
周りの光が溶けるように黄昏から夕闇へと
徐々に移ろっていった
トウモロコシ畑や小麦畑も歩いたかな
パーク・アベニューならはっきりと覚えている
僕たちが交わした言葉の断片が
あの時、君に言った言葉が
君から返ってきた言葉が
この曲とともに次々と蘇る
トラック 3:『Love Song for a Vampire(吸血鬼に捧げるラブソング)』by アニー・レノックス
僕の好きなシンガーのほとんどは、愛を両面から歌っている
すなわち、無上の喜びと精神の錯乱という両極のせめぎ合いとして
ロビンは踊りながら
ビョークは『army of me(私には軍隊がついてる)』で歌ったし
(僕が言うことではないけど、)シーアは彼女自身が全身でそれを体現している
また、ロードは夢から醒めたような冷たい光の中で自身の自尊心を切り落とした
アニー・レノックスは、この種のラブソングを歌わせたら抜きん出ていて
少なくとも僕が聴く系統のシンガーたちの、お手本ともいえる歌い手だ
この曲は、ブラム・ストーカーが19世紀に書いた『ドラキュラ』を
ハリウッドが映画化した際に採用した曲でもある
現代的な女優ウィノナ・ライダーを19世紀の囚われの身にしようという名案を
ハリウッドが思い付いたわけだ
僕がこの映画について覚えているのは、彼女の熱烈なあえぎ声だけだから
この歌を映画から分離して、吸血鬼をメタファーとして捉えるのは簡単だ
アニー・レノックスは両極に引き裂かれたまま、恋の真っただ中にいる
それでも雨は降り続く、そう彼女は歌いながら、聴き手にこう教えてくれるようだ
もう一度だけこの腕の中に戻って来て、そう望みながらも
もっと実りのある課題は、どう愛するかを知ること
雨が降っている時でさえ
トラック 4:『Lead a Normal Life(普通の生活を送れ)』by ピーター・ガブリエル
僕が初めて行ったコンサートはビリー・ジョエルだったが
それ以外では、1987年7月、マサチューセッツ州の〈グレート・ウッズ〉で開かれた
ピーター・ガブリエルのコンサートが初だった
その時期サマープログラムでウェルズリー大学に滞在して、特別講座を受けていたから
そのコンサートに行くことになったのだ
円形の舞台の上の空をよく覚えている
光の演出が、たそがれゆく夕闇の空とシンクロしているようで綺麗だった
当時、ほとんどの高校生が聴いていたアルバムは『So』
僕も高校時代によく聴いたし、ピーター・ガブリエルといえば『So』だと思う
映画『Say Anything』でも使われて、映画を大いにスウィングさせた
主人公のロイドがダイアナに求愛しまくって、結局ふられるわけだが
それでも諦めない生き様にぴったりの曲だった
(コロンビアハウスはガブリエルの『So』以前のカセットテープもどんどん送ってきたが、面倒くさくて聴かなかった)
もっと詳しく書くと
のちに彼の『So』以前の作品も、カセットテープの存在に気づいたのだが
大して印象に残らなかったわけだ
このミックステープの中でこの曲が流れ出してみても
しばらく誰の曲なのかわからなかったくらいだから
少しして、このインストルメンタルの仕掛けはピーター・ガブリエルだったか
とぴんと来て、後半で彼の歌声が入ってきて、確信した
当時のラジオで(ラジオを覚えてる?)
「ディープカット」と呼ばれていた仕掛けだ
曲の後半になってようやくボーカルを入れるというあれだよ
この曲に僕が強烈に惹きつけられた理由を今考えている―
君が普通の生活を送っていればいいな、その姿をこっそり見たいよ―
そう歌うこの曲を聴いていた時、僕は20代前半だった
当時の僕は、これを恐怖だと感じたのか?
それとも、綺麗な純愛だと感じたのか?
当時はたぶん、理解していなかったように思うが
答えは両方だろう
平然と憧れを抱くことは
一瞬の狂気にも変貌することがあるということを
最後に一つだけ
今日の昼間、僕は空港へ向かってタクシーに乗っていた
ラジオでは僕の好きな曲が立て続けに流れていた
僕が若い頃に聴いていた曲たちだ—
ベリンダ・カーライルの『Heaven Is a Place on Earth(天国は地球上にある)』や
シェールの『Believe』とか
ロックバンド、イマジン・ドラゴンズの『It’s Time』(彼らが大口をたたくようになる前の曲だ)―
こうなると、次にピーター・ガブリエルの曲が流れてもおかしくない
そう思いながら、僕は車のダッシュボードに視線を送った
「106.7...Lite FM」と表示されている
アナウンサーも「お聞きのチャンネルはライトFMです」と言っている
その瞬間、僕はひどく裏切られた気分になった
時の流れはこんなにも残酷なのかと幻滅した
〈Lite FM〉といえば、歯科医院やデパートで流れている定番チャンネルだったはずだ
頭に感じていた慌ただしさを和らげるための、いわば低カロリーの軽い音楽を流すラジオ局ではなかったか
僕は年齢的に、もう〈Z100〉みたいな騒がしいラジオ局のターゲットリスナーではない
それにしても、〈Lite FM〉までそっちに向かったらだめじゃないか
どうか、〈Lite FM〉にカレン・カーペンターの哀愁や
バリー・マニロウの哀しみをもう一度取り戻してやってくれ
それが無理なら、ピーター・ガブリエルの『スレッジハンマー』を流してくれ
それも無理なら、僕にハンマーをくれ
ラジオ局ごと叩き潰してやるから
だってそうしないと、そのうちニルヴァーナなんかを流し出すぞ
トラック 5:『In Your Care(あなたの手に委ねられて)』by タスミン・アーチャー
この曲は憧れよりもはるかに恐ろしい
このような曲を、僕はこの曲以降少なくとも10年間は聴いていない
どうして
あなたは
私をダメにしてくれないの?
私はあなたの手に委ねられているのよ
彼女の歌声がそう問題を提起する、僕は今彼女の心に思いを寄せる
いっそのことダメになってしまいたい、それなのにあなたは
僕は同様の裏切られた感を味わったことがない
それでもなんとなく、彼女の気持ちがわかる気がする
時々、メロディーに乗ってくる言葉の力は
現実の経験よりも力強いことがある。あるいは
それ以上に、歌は僕の過去の二つの経験をつないでくれる
私をダメにしてくれないの?
私はあなたの手に委ねられているのよ
自分の経験を照らし合わせてみると
彼女の歌声が僕に訴えかけてくることの意味が
その険しい道の片鱗が、チラッと垣間見える
僕は年齢を重ねるごとに
ラブソングの位置付けが変わっていった
昔は、ありふれた美辞麗句で僕の目をくらませるだけのものだった
でも今は、ラブソングは僕にとって必要な存在だ
真実を、説得力をもって伝えてくれるから
トラック 6:『Walking in My Shoes(俺の身にもなって考えてくれ)』by デペッシュ・モード
このミックステープを作ったのは、1995年辺りだろう
その頃を思うと、Dread and Yearning(恐れと憧れ)なんてタイトルを付けておいて
デペッシュ・モードの曲が一曲も入ってないなんてあり得ないと思っていたらここで来た
ここで、懐かしい僕の亡き友リンダのことを書かせてもらう
ミックステープつながりで、彼女が作ったミックステープを思い出した
僕たちはミルフォード高校の2年生だった
夏が近づきつつあったから2年生の終わりごろだ
彼女はよどみのない綺麗な筆跡でトラックリストを書き連ねていた..
Depeche Mode, Erasure, The Cure, Alphaville, People Are People
A Little Respect, Lovesong, Forever Young...
デペッシュ・モードといえば、『Blasphemous Rumours(冒とく的な噂話)』も良かった
神にはイカしたユーモアのセンスがある
なんて大声で暴露してしまうパワーには目を見張ったものだ
しかし、それ以上に僕の心を打ったのは『Somebody(誰か)』だった
その「誰か」を求める気持ちが、まっすぐに僕の心に突き刺さったのだ
心が求めているものは、これほどまでにシンプルなんだと思い知らされた
いかだの上に取り残されたと思っても、そのうち浜辺にたどり着くはずさ
あの曲を聴くと、そんな気持ちにしてくれる
俺はこういうやつだからって決めつける前に
一旦俺の靴を履いて歩いてみてくれ
僕は高校時代、黒っぽい服はあえて着なかった
僕の日常の中に、あるいは僕の心の中に闇があったとしたら
それはテレビドラマで見て、その気になっていた闇に過ぎなかった
実体験ではなかったわけだ。だから、この歌は僕の人生を言い当ててはいなかった
だけど、こういう闇を吐き出すような歌は、僕の人生の幅を広げてくれた
いつか実際に闇と格闘しなければならなくなった時
この歌を聴いていたおかげで、心の準備ができているはずだ
いつか愛の側について、闇と闘う時が来る
愛が僕たちにしてくれたことに感謝しながら闘う時が
トラック 7:『Here. In My Head(ここが、私の頭の中よ)』by トーリ・エイモス
こういうタイトルの曲はなかなか好まれない
初見では一歩引いてしまうよね
たぶんトーマス・ジェファーソンはうちの裏庭で生まれたわけじゃない
あなたはそんなことを言ってたわね...
昔の大統領の名前を出して、そう歌うヒロインの頭の中は
言いたいことが溢れているのだろう
そして、その中には矛盾も含まれているのだろう
まさに、実際のトーマス・ジェファーソンがそうだったように
特に恋をしている時なんて
自分自身とかくれんぼをしているようなものだ
トーリ・エイモスのライブを初めて見た時のことを覚えている
(バークリー・パフォーマンス・センターでの〈Little Earthquakes〉ツアーだった)
彼女のピアノの弾き方に度肝を抜かれてしまった
体全身を使って表現しながら、それでも指だけは的確に音符をなぞっていた
その響きは、彼女の指に弾かれた鍵盤がワイアーを震えさせ
そのまま僕の全身まで震えさせてくるようで、しびれてしまった
そんな体験を伴う曲は頭の中で常に巡り続ける、現在から過去へと
音符のどこかに隠された自分自身を探しているようだ
トラック 8:『Mary(メアリー)』by トーリ・エイモス
同じシンガーの曲を2曲連続で収録するなんて正気の沙汰とは思えないが
この2曲に何かしらの繋がりを感じていたのかもしれない...
若きデイヴィッドよ、お前はいったい何を考えていたんだ?
ミックステープ作りには、それなりのルールがある
それは何本も作っているうちに自然とわかってくるものなんだ
僕が初めて作ったミックステープは自分用だった
次に作ったのは、たしか母へのプレゼントだった
僕が初めてもらったミックステープは、リンダからだった
それから1年とちょっと過ぎた頃
高校で親友だったキャリーとミックステープの交換をした
そのテープの初っ端に流れてきた曲は、ザ・ザの『This Is the Day』だった
後に僕が書いた本が映画化され、この曲がメインテーマとして使われることになるとは
もちろん知る由もなかった
人生のサウンドトラックというのは、時の流れとともに変遷を繰り返す
時の彼方に消え去ったかに思えた曲が、ふとした時に
全く予期していなかった時に、舞い戻って来るものだ
トーリは聴き手に語りかけるように、怖がっちゃいけない、と歌う
しっかり立って歩き続けるのよ
ほら聞こえるわ、もうすぐ救われるのよ
この曲を聴いて胸が痛んだことは一度もなかった
この曲を聴いて心が救われたことは何度もあった
この歌い手は教えてくれる
助けが必要になったら
再生ボタンを押して、この曲を聴けばいい、と。
最初の方の曲を早送りで、すっ飛ばしてでも
この曲を聴けば、すっと心が救われることを
最初に曲を書いた人がいて
そうして生み出された曲を
歌って届けてくれる人がいる
僕らはお互いに勧め合ったりしながら
その曲を生き続けさせるのだ
このテープの最後の曲も終わり
音楽のない静かなノイズ音だけが
流れているのを聴いている
不思議な気分だ
恐れは衰退し
憧れは落ち着きを取り戻す
20年以上経って
僕の心にこのテープが落としたのは
まだ目覚めたばかりだという感覚。
一曲の歌で目覚めさせられた
強い信念をもって訴えかけてくる歌声に確信する
人生っていうのは常に
周りには音楽が流れていない時でさえ
いつでも音楽が流れている
そうやって、僕らは自分のミックステープを作り続ける
了
〔感想〕(2020年7月17日)
our lives
even when they’re silent
always contain music
人生っていうのは常に
周りには音楽が流れていない時でさえ
いつでも音楽が流れている
まず翻訳の難易度について書くと、
小説以外の評論文や論説文 = 簡単。
小説 = 難しい!
詩 = 激難(げきむず)!!
なので、やや大変でしたが、自分でも翻訳力が高みまで到達しつつあるのがわかるくらい、藍は充実感に満ちているので、すらすらと訳せました🗽
きっと翻訳オリンピックがあれば、表彰台に上がって、金か銀か銅メダルを取れる自信があるくらい、力が満ちています🏆
藍は45歳なので、この充実感(頭が高速でぐるぐる回転する感覚)も、あと10年くらいしか続かないだろうな。
とりあえず、あと10年、訳し続けるぞ!!!
藍にとって印象深かったtourは、平野綾のライブツアー「RIOT TOUR」でした🎸✨✨
一緒に行った子を背中から守るみたいに、ずっと密着していたから、忘れられないツアーになりました...
話を戻して、笑
デイヴィッド・レヴィサンの推しメンはトーリ・エイモスなんだと思う。というのも、彼の他の小説でも、トーリ・エイモスという名前をちらほら見かけたので。
この8曲の中で、藍的にぐっと来たのは、7曲目の『Here. In My Head(ここが、私の頭の中よ)』by トーリ・エイモスでした。7曲目に載せたYouTubeを聴いてみてほしいのですが、ピアノの音が、シンガーの弾く音ではなく、ピアニストが弾く音なんですよ♬
藍もそんな音が出せる、そんな声が書けるように、全力で訳し続ける。
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